TAKUTO YOSHINO

静かな感情を原動力に、生かされる

春と聞いて爽やかな情景が目に浮かぶのと同時に、清々しさと自分の感情に差を感じやすい、春はそんな時期でもある。僕にとっての2019年4月と5月は、なんだかとても、ノスタルジーな時間だった。


 

今日、久しぶりに加古隆さんのピアノソロコンサートに行って来た。

加古隆について
作曲においては、ジャズ・クラシック・現代音楽の要素を融合させた独自の作曲形式を確立しており、ピアニストとしては、自身の作品の演奏を中心に活動している。また、映像作品とのコラボレーションによる音楽も数多く手掛け、映像音楽の作曲家としても活動の幅を広げている。自身の作品によるコンサートは世界各国に及び、オリジナルアルバムは50作品を超える。ピアノから紡ぎ出される透明な音の響きから、「ピアノの詩人」あるいは「ピアノの画家」と称される。1980年代からかぶり始めた帽子がトレードマークとなっており、ステージでも必ず身につけている。コンサートでの演奏は全て暗譜で行う。(Wikipediaより)

これまでの40年を振り返った、5年ぶりのソロコンサート「ピアノと私」

加古隆さんの作る曲はとても情緒的で、わかりやすいメロディのある曲の方が珍しく、感じ取る上で理解が難しいことも多い。このピアノを聴く上で、僕の年齢ではまだまだ若いのだろうと推測している。実際、聞きに来ているのは50代以上がメインだったろう。加古隆さん自身、「私の曲の特徴はノスタルジーにあります」と言っているぐらいだから(でもノスタルジーな感情はとても自分好みだ)

最近はチケットを買う際に席を選ぶことができないようで、でもまさか「最前列」だとは。そのせいもあってか、マインドがオープンだったのか、静寂の中で唯一鳴っている、情緒的なピアノの旋律に引かれるように、自分の感情がスルスルと解きほぐされていくのを感じた。

帰宅してからも少しぼーっとする。
ピアノを弾いたり、本を読んだり。

僕が好きな楽譜のひとつに、紅の豚の「時には昔の話を」がある。(とことん、ノスタルジーさが好きなんだな…)

いま弾く曲は、ほとんどが院生〜社会人3,4年目の頃によく弾いていたもの。当時は、嬉しいことがあったり、悲しいことがあったり、自分の感情に合わせて曲を選んで弾くことが多かった。だから、いまでもピアノを弾くことで自分の感情を少し取り戻そうとしたりするのだけど、今日はどうもその効果が強かったらしい。

 

松任谷由美さんの「ひこうき雲」も、自分にとってはある種のトリガーになる曲だ。

久しぶりに聞いて、「あー…そうだったな…」
自分が生かされてるのは、この感情のおかげだったな、と。

昨年、いや、3年ぐらい前から、ある感情が薄まっているのを感じていた。んー…違うな…感じる余裕すらもなかったのかもしれないし、感じなくても大丈夫だと思ってたのかもしれない。ここ数年は表面上に見えること、それに対する内発的動機を起点に動いていたのか、もっと根源の原動力はそこではなかったんだった。

(それにしても、ブログを書くタイミングが往々にして感情変化のある時だから、これまでのブログを読み返すと紆余曲折というか、振り返って歩いて振り返って歩いての繰り返しになってるな笑。相変わらず不器用だ。)

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