TAKUTO YOSHINO

感情が動く機会を求めて

4年…

デザインを始めて4年が経った。
東京へ来て4年が経った。

約5年間三重に住んでいたせいかわからないけど、東京に来たばかりの頃はその密度にただただ圧倒された。大阪や京都、名古屋とも違う。

溢れかえる人。
そびえ立つビル群。
煌びやかな夜景。

なんだかピリッとする空気を感じながら、目に飛び込んでくる風景にワクワクしていた。夜にひとりで、浜松町駅から東京タワーを眺めながら歩いていた時、複雑に絡み合う感情の中で心が震えていた事を今でも覚えてる。

日本のものづくりには「デザイン」が足りない。
デザインのあり方とやり方を落とし込んで貢献したい。

そんな想いの中、「大手企業の社員」というある種の枠から外れ、縛られていた感覚からの解放、組織に属さないことによる心地よい孤独感、一人でやっていけるのかという不安…色々混じってた。

もちろん、縛られていた感覚というのは僕の主観であって、仕事やチーム、環境にはとことん恵まれていたと思う。今の自分の「仕事力」は間違いなくシャープ時代の先輩から培ったものだし、仕事に対するメンタルタフネスは間違いなく上司の影響だ。礼儀やプロとしてのマインド、そういったものも学んだように感じる。

 

「外に出ても通用しないぞ」

退職を告げた時に上司から言われた言葉。当時の僕にとってはなかなか怖い言葉だった。

この頃はプロジェクトが完了して次へというタイミングだったから、期待をしてくれていたからなのかはわからないけど、今思うとありがたい言葉だったのかもしれない。もし引き止められなかったとしたら、それはそういう意味だから…

 

東京に来てからの4年間は、デザインに没頭できたなぁ。ものづくりや仕事のこと、デザインのこと、技術のこと、将来のこと…これらを意識しなかった日はなかったなぁ。

学び始めの頃は、PhotoshopやIllustratorを使ってビジュアルを作ったりレタッチしたり、そんな時間がただただ新鮮で楽しかった。

さらに、映像を作れるようになり、実装もできるようになり、ありがたいことにいきなりフリーランスとして仕事を受けることもできた。

実績ないのにフリーランスとか、今思えば無謀過ぎたかな笑

4年前はデザイン業界のあり方なんて一切知らなかったし、単なる初心者でしかなかったけど、今は入りたかったDONGURIでデザイナー兼リーダーを任せてもらってるわけで、自分なりになかなか頑張ってるんじゃないかなーと思う。

なにより、ある程度できるようになった瞬間に飽きてしまう性格だけど、まだまだデザイナーでいられそうだと感じられる今の状態がとても嬉しい。

選択肢として、自分のワクワクに従って良かったな、と。「デザイン」という概念がなかったら、きっとシャープでモヤモヤしながら技術者をやり続けてただろうな…とてもありがたい。

ただそれでも、慣れてきてしまった部分もあって、「ものづくり」「デザイン」という領域の中で新しい何かをそろそろ決めないといけない。僕の場合、どんなに自由度が高くても「受託」だけでの継続は難しいだろうなと当初から感じていて、手段や場所という意味でも少しずつ幅を広げていかないと、数年後にはひとりで勝手に苦しくなってそう笑

「慣れ」というのは「成長の証」であると同時に「感動機会の喪失」とも捉えられる。
そんな風に最近感じる。

 

いつまでも若くいたいなと思う。

それは、若く見られたいとか、若い人に負けたくないとか、そういう事ではなく、ただただ様々な事に素直に感動できる感受性だけは若くいたい。

東京に来たばかりの頃にあった感情の動きはもうなくて、それはそれで少し寂しい。だから、次の変化、さらにその先の変化に向けて準備を始めました。

目標に対してまっすぐにではなく、周りも見ながら少しずつ少しずつ、螺旋状に昇っていきます。

自分らしくマイペースに。

 

40代になっても50代になっても初心者になり続けられる、そんなあり方でいたい。

 

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